ATの断薬日誌

ベンゾジアゼピン薬剤2種類をカクテル処方され 8年間 長期大量服用後、遷延性離脱症状に悩んでいます。ベンゾ歴は約18年  筋肉減少と皮膚異常が同時進行。同じ症状の方、事情通の方、情報をお寄せ下さい。筋肉減少、胃痛、咽喉の痛みと違和感に悩まされています。 ベンゾジアゼピン後遺症 闘病記録 

2019年7月3日から断薬。2020年11月23日現在も継続中。  ベンゾ服用歴 マックス時1)ブロマゼパム2)ジアゼパム2種類Maxカクテル処方。(15mg×2=30mg)カクテルMax期間約8年 07年~15年 2017年3月頃にジアゼパム断薬済み。常用量離脱、遷延性離脱、後遺症の症状に悩んでいます。 【追記】2018/01/04 胸や心窩部の奥、体の内側から筋膜がはがれるような感覚です。 呼吸も浅いです。一日こんな調子です。手足指 の皮が薄くなって刺激が伝わりやすいです。2018年2月8日 デザイン変更 3月20日 レキソタン増量10mg。サイレースも追加 長期ストレスより楽な短命を選びました。 5月レキソタン朝夕再服用開始。5・7外出できました。6月現在、レキソタンのみ。サイレースは飲んでいません。家事と外出ができるようになりました。(筋肉衰弱状態は変わらず)6月再びレキソタン5mgに減量。一時断薬するも8月10mgに増量 23日再減薬5mgに。2018年10月レキソタン増量。2018年11月6日~2019年1月13日断薬 再服薬。2019年3月現在レキソタン5mgでステイ2019年7月3日断薬





私の父はおかしい。(現在70代)

90年代当時20代の息子の就職活動を妨害したり、私の自宅での無茶な自営に投資したり、

誰もが避けるやり方を半ば強要した。

要は「無知」なのである。

父は昭和時代から平成半ばまで、就職活動、就職難、自営の厳しさ全く知らない大企業にいて
ファンタジーで息子にアドベンチャーをやらせ息子の時間を潰した。
今私は40代である。



挙句に「今まで何をやっていた?」という。
過ちを少し認めてもまだ私がすべて悪いという。


少しよく考えれば、90年代に大企業の人脈を使って就職の世話をすれば良かったではないか。
それも無しにミスリードしてすべての責任を私に押し付ける。

証拠は隠滅する。

私のパソコンに毎日にように送られてきたEメールと会話録
音の音声ファイルがあるというのに。

毒父は、自らの失敗や過ちを認めようとしない。
真正のバカなのである。

その息子の私も当然バカであるが、「現実感」は持っている。

だから40代で障害福祉と障害年金という選択をした。

私の父は若いころ苦労した。しかしその後右肩上がりの経済成長の中で大企業にいた。


世間を知らないのだ。当然、おかしな人生観を息子に押し付ける。
当然そんなことできない。そして「裏切られた」と父は嘆いている。

完全におかしいのは毒父のほうだ。


私はいい年をしてこんなことを書いている。


40代でようやく、金とクスリと洗脳から解除されつつある。80年代~90年代が異常だったのだ。

経済的には比較的に恵まれていても品性の欠けた父に洗脳された。

唯一の救いは一人考え、読書をした。そして現実、リアリズム
を心のどこかに宿して維持していたことだ。

それでもあまりに長い歳月が流れた。



これからが本当の自分の人生かもしれない。

あまりにも筋肉が衰弱したままだが・・

小金はあっても愚かな家庭だと崩壊する。
世間にも学問にも全てにおいて無知な毒父。

金は稼いでもそれは時代がよく、家族を犠牲にしてきたからだ。

私は父の余計なアドバイスを聞かず金だけ出させておけばよかったのだ。

しかし洗脳は怖い。ベンゾも怖い。判断力、思考力が低下した状
態で愚かな洗脳が強化されていたからだ。


今は洗脳が解除され、レキソタンは5mgまで減っている。

体力と金だ。

体力も金も

福祉の力にかけている。が、そこにも問題は多い。

しかしまた福祉の力が必要でそこでうまく生きるしか選択はない。


本家ブログもよろしくお願いします。


追記(両親には最低限の感謝の念は持っている。しかし息子一人の人生の犠牲と苦痛は計り知れない
ものがある。こんな私にしたのは明らかに家庭の責任でもある。過去を隠蔽しているという事実が
全てを物語っているではないか?裁くために悪をでっち上げてまで裁こうとする。
本当に悪いのはどちらだ?力任せに裁くのは不当だ。パワハラと言う奴だ。

そんなことをして生きてきたのだろう。70過ぎてもパワハラが許されていると信じていいる愚かな父。

毒父というより愚父。もっと若いころに決別すべきだった。下手な孝行はしない。経済的自立があってこその孝行。しかしそれを妨害したのは毒父である。)








普通に働いておられる方には月曜は苦痛かもしれませんが、自宅で療養している
障害者、それも薬害被害者には、世間が動いてくれてとても助かります。

まず孤独でなくなる。役所や福祉事業者へ問い合わせできます。
どこかの店も開いています。

体に障害がなくてお金があれば、出かけるのにもいい時期です。


土日祝日は悶々としますからね。


筋肉衰弱の症状が慢性化しても外出したい欲求があることには変わりません。
脚や臀部が衰弱して下着がうまくフィットしない辛さがあります。

下着と上着を衰弱した筋肉でも違和感がないよう着こなす工夫も必要です。

薄くなった足は靴下を履いて防御するしかないでしょう。

体の不調、障害と付き合いながらの市民生活。

何かと不自由で不安が多いですが、外に出たい。


これから3月になり暖かくなると余計に外に出かけたくなります。


お金の心配があります。クレジット使い過ぎ。ネットショッピングで使い過ぎるのです。

これも外出することで減るかもしれません。外出費用とネットショッピングの費用がどれくらいの割合になるかわかりませんが、

外出で余計な買い物は減ると思います。


障害年金の不安もあります。社労士とメールで相談中。

障害年金は一年に一度の更新制。

こういう面倒さ、わずらわしさもあります。

一番つらいのはやはり肉体症状と、喪失感といった精神症状には変わりありません。


本来悩まなくていい胃の不調、筋肉の衰弱、精神症状で悩んでいるのですから、

ベンゾの破壊性を痛感せざるを得ません。

月曜日。一週間の始動。ヘルパーさんとの別れの一週間でもあります。

変化に適応できるか・・



本家ブログもよろしくお願いします。



昔は土日が待ち遠しかったのに、
今は土日祝日が嫌です。

毎日日曜日の生活になって早4年。役所にしろ、福祉事業所にしろ、
土日祝日で孤独になるからです。


体を壊して自宅で閑居するようになれば自由を奪われるだけでなく、
苦痛と孤独が一気に襲い掛かってきます。
近所から不審者扱いされ、時折警官さえ尋ねてきます。
(警察の場合定期的な巡回かもしれませんが・・・)


日本社会は弱者への思いやりが少ない。

自分たちだって上の世代からイジメられてきて「民主主義」「平和」を叫んでいた人たち。

今度は自分たちが排他的になっている。

それに異を唱えると「ヘイト」「ネトウヨ」のレッテルをはられる。

私には理解不能な現象が起きています。

要は勤めに出て嫁さんがいて家庭があって給料が毎月あるという昭和時代の普通でないものは、
異端視されているのです。

そういう普通を昭和から平成にかけて不良文化や自由、人権を連呼してさんざん足引っ張っておいて
なんですか?

自由も人権も普遍的な価値のはず。それが一部の人達にしか適用されない。
何でも「日本人には人権はない」というのが日弁連の見解にあるそうです。

こうした状況下での精神薬害はただ耐えるしかありません。

40代をイジメて弱らせてどうするつもりなんでしょうか?

誰も面倒見ませんし、下の世代なんて学力も見識も知れていますよ。


全てとはいいませんが、幼稚な人達が多い。

上の世代に比べればマシと言う程度ですがね。



今の日本の閉そく感。これ団塊ジュニア(特に男)をイジメすぎたのが原因です。


もう分かりきっているのです。同世代の既婚女性ヘルパーも同意していました。

これは利用者に気を使ってではなく、同時代を生きた女性の感覚からも
「女性は優遇されすぎてきた、だから独身者が多く、
今少子化になっている」と明言されていました。


メディアの洗脳でしょうね。

私は知ったこっちゃありませんが、薬害障害者の身。
こうした女性にも福祉や医療で遭遇することがあるのです。


気分悪い上に平気で人を傷つけて辞めていきます。「ああここまで落ちたか」
「民度が低くなった」」と落胆せざるを得ません。

こう書くと「いやお前が悪い」と正義ぶったのが出てくる。何を言っても揚げ足取り。
結局は私が気に入らないのでしょう。


ただでさえ調子が悪いのに、言葉も常識も通用しない人達ばかりで
精神的にも疲れる日々です。


クレカの断捨離やっています。


本家ブログもよろしくお願いします。

Twitterでつぶやきすぎるので、どうせなら自分のブログ。それも思いのあるライブドアブログで
ここ数日のできごとを。

2月22日。郵便局まで徒歩で出かけることができました。

片道徒歩10分のところへ行くのに、恐怖と筋肉の違和感があり、これまで出かけられませんでした。
それが今年、まだ2月の寒さで出かけることができました。
この3年間、2月のこの時期は寝込んでいた過去の記録から考えられないような
行動です。


クーリング・オフのハガキをだしに行ったのです。大手のベイコム相手なので神経質にならず
に済ますこともできたはずですが、相手は管理組合経由で点検商法をやった相手。
信用できません。
管理組合もベイコムも公的権威や強制力を偽り住居に侵入し、営業活動をやったのですから、
詐欺まがいとしか言えません。


こういうのに騙された自分も不覚でしたが、ハガキをネットで購入し、クーリングオフの書面を作成。
さらに裏表のコピーをとった後で近所の郵便局へ徒歩で行ったのです。



奇妙な気分でした。いつもヘルパーさん同伴、又はかつて自転車で走っていた道を
衰弱した筋肉でヨロヨロ、ヘルプマークをつけて歩いたのですから。

思えばベンゾをのむ前の20代がどれほどたくましく、贅沢な悩みだったかを思い知らされました。

「私も老いたのだ」と40代にして思いました。


若き頃に抱いていた中年像とは違い哀しみに暮れること多いです。


そうした哀しみを引きずり郵便局まで歩いたのです。たいしたことのないクーリング・オフのハガキを出しに行くことが
どれほど決意を要したか。またその結果を大戦果のごとくツイッターやブログで公表している。

一昔前の自分では考えられません。


40代、ある意味社会の中枢にいるべきはずのに、社会の底辺にいる。

それも食欲と筋肉を奪われて・・

人生の悲哀です。

今は少しでもかつて当たり前だった感覚を取り戻したいです。


ちなみに郵便局へはレキソタンをのまずに行きました。


2015年に倒れて重度の抑うつで寝込んでいたことを思うと大進歩です。


体は支えやクッション機能が低下し、フワフワして奇妙な感覚でしたが、
これも脳の誤作動。

ベンゾをゆっくり抜いて、機能訓練をすればまた普通に戻る。

しかしそこには50を過ぎた自分と本来培ってきたであろう家庭も仕事もない。

おそらくこれから、社会の片隅で孤独に社会への怨嗟の声をつぶ
やきながら生きていくことを思うと無念でなりません。


レキソタンの断薬は急ぎません。5mg玉で様子を見ます。一気断薬もやりません。
(たまに休薬のつもりで断薬するかもしれませんが・・)

ベンゾは合法麻薬なのです。タダではすみません。

肉体、精神、魂の領域にまで自分を制し高めなければ煩悩に悩まされることでしょう。

福祉での良き出会い、そしてネットで声をかけてくださった方々の言葉、
文字で印象に残っているものを
生きる力、精神的な力にしていきたいです。



2月23日。

あと一週間で3月。今年はお金は少なくなったけど、別の力があります。

惜しいのは慣れたヘルパーさんの急な退職。

いかに有意義に過ごし続けるか・・私のテーマです。


本家ブログもよろしくお願いします。



ライブドアブログを昨日読みなおしていました。病状と服薬の記録は、こちらのブログが
わかりやすい。


意外に思ったのは、過去(昨年、2年前)の自分は胃痛を訴えなが
らも今より前向きで力があるということです。
多くの方のメッセージ、コメントに力づけられていたのもありますが、
ヘルパー支援、僅かに残る筋肉の力が残っていたのでしょう。


今は昨年や2年前の自分より症状は落ち着いたものの、筋萎縮は進行し、
胸回りは昨年より細くなりました。


これは他覚的にもわかります。衰弱しているのに、どこか生命の部分が強くなっています。


レキソタンは断薬と再服用の繰り返しです。

昨日も1週間の断薬の後、夜に5mg玉を投入しました。

レキソタンは通常2mg玉が普通ですから私の5mg玉はかなりの量になります。

一日2錠から3錠。10mgから15mg。これは多すぎますね。


しかし依存するとこれでも足りないくらいになるのです。

レキソタンの断薬は後遺症も禁断症状も少なく抜きやすいとされていますが、
ストレスが多い中では難しいです。
寒さ、人間関係、お金・・ストレスは付きまといます。

2月20日。下旬になりました。もうしばらくすると、3月になります。

希望の3月です。2月にこれまで親しくしていたヘルパーさんの急な退職があって失意の中に
あるものの、気候は温暖になります。


今年もレキソタンを抜けそうにありません。ベンゾ服用の過去を否定し、克服しようとするあまり、
断薬にこだわる自分がいますが、レキソタンだけは付き合わねばなりません。

たまに数日から数か月の断薬もします。

これはテスト期間又は耐性がつかないための配慮とみなし肯定します。

季節、福祉の人間関係に変化があり、不安定です。


皆いい加減なものです。




相談員は3代目も外れです。主戦力のヘルパーさんの退職。残るは40代同世代ヘルパーさん。

主婦の方ですが、20代で結婚され20代の子さんがおられる。私の母とよく似た感じの女性です。

昭和時代の経済状況も非常に良く似ています。

「同世代はダメだ」というジンクスを破ってくれました(今のところですが・・・)


ご夫婦で訪問看護ステーションも経営されています。今年1月末、私に暴言を吐いて勝手にやめていった別ステーション40代看護師の後任には、このヘルパーさん
の経営する看護師さん(60代)が担当です。

60代70代に否定的でしたが、今は仕方ありません。面談し訪問してもらうことにしました。

40代ヘルパーさんの部下の60代看護師ですからこちらの意も伝わりやすそうです。


福祉業者による「囲い込み」を恐れていましたが、
「連携」ができていないと何もできません。


こちらに好意的なヘルパーさんの囲い込みならそれは連携であり、コラボです。

恐れることはないでしょう。

初代相談員Tの時は虐待のための連動、イビリのための囲い込みでした。

Tの言動を過去のライブドアブログの記事から記憶をたどると通常の日本国民とは思えません。

心の祖国は海外にある人でしょう。


初代相談員Tには、ひどい目にあいました。

同世代40代主婦のヘルパーさんは典型的な中流日本人。
かつての自分の家庭環境とよく似ています。

良い出会いなのかもしれません。



回りくどくなりましたが、今はこの40代ヘルパーさんとその事業体連合に期待します。


本家ブログもよろしくお願いします。



こちらは久々の更新でした。


20日 夜 追記:

ブログで頂いたコメント、メッセージの数々を読み返しています。
皆様ありがとうございます。

特にいつもメッセージお寄せくださる方、
本当に力になっています。

ヘルパー導入以前の私を救ったのは、ブログでのコメントとメッセージです。
これらのおかげで意識を保てました。そして福祉ヘルパー導入へ。

相談員に悪質なのがいたり、福祉も一筋縄ではいきませんでしたが、
そこでもブログでのコメント、メッセージが力になってくれました。

障害年金受給もブログでのコメント、メッセージのお蔭です。

もしブログを書いていなければ、何の進展もなかったでしょう。
そのまま抑うつが重傷化し措置入院だったと思います。
そこから救ってくれた原動力がコメント、メッセージの
言葉の力、文字の力です。



このことを思うと感謝の念で一杯です。


今もレキソタンから抜けきれていません。筋肉も衰弱したままです。

しかし意識が良くなっているのです。


これはやはり言葉の力。コメント、メッセージ、福祉ヘルパー

つまり人の力なのです。


人間関係好き嫌いがあり、どうしても「人のつながりではまとめきれません。
しかし人の力は必要なのです。

私が助けられたように、私も人を助けたいです。

このブログ又は本家ブログがその一助になれば幸いです。












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